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グラーフ・ツェッペリン (空母) : ウィキペディア日本語版
グラーフ・ツェッペリン (空母)

グラーフ・ツェッペリン(ドイツ語:グラーフ・ツェペリーン)は、ドイツ海軍が建造していたグラーフ・ツェッペリン級航空母艦の1番艦である。艦名は、硬式飛行船を実用化したフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵に由来する。''グラーフ・ツェペリーン)は、ドイツ海軍が建造していたグラーフ・ツェッペリン級航空母艦の1番艦である。艦名は、硬式飛行船を実用化したフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵に由来する。
== 概要 ==

=== 建造 ===
この空母ドイツが再軍備を進めるにあたり戦艦Uボートと同時期に建造がスタートした。しかしながら、ドイツに空母の建造経験はなかったため計画案作成に時間がかかり、ドイッチェ・ヴェルケ社での起工は1936年になってしまった。設計に際しては、英空母「フューリアス」および同盟国日本の空母「赤城」が参考にされている。「赤城」の図面のうち、実際に設計に反映されたのは、艦載機昇降用の中央エレベーターの部位のみである。ドイツの同盟国で唯一、大型の正規空母を建造・運用する日本に協力を依頼するのは自然であるが、「赤城」はもともとは巡洋戦艦として建造された後、ワシントン海軍軍縮条約の影響で空母に改造された艦であるため、一から空母を設計・建造する際の参考とするのは非合理的であった。そのため、しばし言われる「グラーフ・ツェッペリンは赤城のコピーである。」という話は誤りである。ただし、技術移転がされた当時の「赤城」は三段甲板空母であり、近代化改装前であった。「グラーフ・ツェッペリン」は多段式空母ではない。また「赤城」の技術と交換に、九九式艦上爆撃機大和型戦艦建造用の機械・技術がドイツから日本に提供された〔#海軍の選択73-74頁〕。
1938年に進水したが、1940年半ばになると状況は劇的に変化し、北のノルウェーから南はスペイン国境までの長大な海岸線を敵の上陸戦から守る必要が生じた為、それまで本艦よりも優先順位の低かった沿岸要塞は突然最優先事項に浮上し、兵器、要員、そしてあらゆる種類の軍需品が迅速にこの分野に投入され、後に大西洋の壁と呼ばれる壮大な要塞線建設計画が立てられた。この為に海軍の艦艇建造計画は削減され、その資材は沿岸防衛要塞建設に投入される事となった。この段階で造船所の船台上にあったグラーフ・ツェッペリンの15㎝主砲及び10.5㎝高射砲は要塞や沿岸砲台に転用され、完成率90%前後に達していた本艦の艤装工事は1940年に中断された。尚、既にその段階で艦艇用サーチライトと数門の37㎜対空砲は装備されていた
工事は1942年5月に再開された。6月、日本海軍はミッドウェー海戦で空母「赤城」を含む正規空母4隻を一挙に喪失、戦力回復のため「グラーフ・ツェッペリン」の購入を打診したが、極東への回航は不可能とされてドイツ海軍に拒否された〔#海軍の選択76-79頁〕。代艦として神戸港に係留されていた商船「シャルンホルスト」が売却され、護衛空母「神鷹」となった〔。その後「ツェッペリン」では燃料タンクの増設とバルジ装着などに手間取り、1943年に大型艦製造中止命令が出たため、工事は完全に中止となった。搭載されていた15cm塔は、地上砲台としてノルウェーの沿岸防衛に転用された。9割ほど完成していた本艦は、バルト海沿岸のシュテティンに避難していたが、ソ連軍に接収されるのを恐れ、1945年4月25日に自沈した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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